ついに直島に到着。日はすでにだいぶ傾いていた。
フェリーを降りると早速、近代的な「海の駅なおしま」と鮮やかな草間彌生の「赤かぼちゃ」がお出迎え。(この写真には写ってないけどもう少し左にある)
その後ろには、懐かしい感じの漁師町が静かに控えている。
そんなコントラストの強い風景が自然に共存している不思議。
ただ、あんまり風景を味わっているヒマはなかった。
フェリーの時間に合わせて、今夜の宿「ベネッセハウス」の島内循環バスが待っていたからである。
母に急かされて慌ててバスに乗る。(実際は、出発時間がわりと余裕を持って設定されているようで、そんなに急がなくてもよかったのだが)
直島町のホームページによると、この島は早くから瀬戸内の交通の要衝だったようで、その島の名は保元の乱(1156年、平安末期の朝廷の権力争い)に敗れた崇徳上皇がこの島に立ち寄ったとき、島民の素直な気性を賞して名づけたものという。江戸時代には幕府の直轄地だったというし、船で瀬戸内を行くときに寄港地として使いやすかったのだろう。
港町として発展してきたこの島の転機は2つあり、一つは1917年の三菱マテリアルの製錬所設置。これによって島は漁業と海運業に加えて、工業による発展の機会を得た。そしてもう一つが1989年以降のベネッセによる一風変わったリゾート開発事業の開始だ。
教育事業の一環としての国際キャンプ場の設置から始まったベネッセの事業は、1992年に「泊まれる美術館」であるベネッセハウスのオープンへと続き、それからいくつかの企画展を経て、そのうち屋外展示、さらには町の廃屋を利用した作品展示へと広がり、次第に島全体をアートにする試みへとつながっていった。
今では世界中の優れたコンテンポラリー・アート作品がそろう、アート界では日本でももっとも注目度の高いエリアとなっている。
このような方向で発展しているリゾートは日本ではほかに例を聞いたことがないし、おそらく世界でも珍しいと思われる。逆にここが有名になりすぎたのでなかなか二番煎じは難しいのではなかろうか。直島は、それぐらい「尖った」場所なのである。
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